日本の戦乱と平和 

「日本の戦乱と平和」にみる歴史はこの国の戦乱と平和は極端なる波だ。

近代に入り、明治維新から第二次大戦終了までの75年間とその後、現在までの75年間を見るとその差は極端である。政治、経済、社会そして国民の意識が真逆である。しかしここ約2年間続いたコロナ禍と中国やロシアそして北朝鮮の覇権的・強権的行動、この地域のミサイルや核の拡大化など、戦後75年間の平和期は明らかに大きな曲がり角に来ている。

戦争をステレオタイプな悲惨さで表現する単純な思考では日本と

国民は生き残れない。意識の変革が必要である。

日本は神話から歴史は生まれ、現在は近代的民主国家である。

1200年頃から武家社会が確立され、その文化、鎧、刀剣、長弓などの武器は類を見ない完成度が高かった。そして応仁の乱に始まる戦国期が続いた。その原因は元寇だったと歴史学者は言う。16世紀半ばの鉄砲伝来、が瞬く間に大規模使用され、戦国時代は終わり約250年間の鎖国・平和期が続いた。極端な流動であった。

19世紀半ばの戊申戦争、明治維新に始まる富国強兵時代(約75年間)その兵器近代化の核をなしたのは、機械工学と無煙火薬採用に

よる機関銃の出現と採用だ。多種の近代兵器、航空機や艦艇の開発製造、活用が続き、核による攻撃を受けた世界唯一の国だ。

歴史に学ぶは賢者であり、経験に頼るは愚者である。

武器兵器は胡散(うさん)臭い、こういう世論は終わりにし、客観的に歴史を学びたい。(令和3年11月3日)

 

天正12年1543、須川長兵衛 藤八親子討ち死す

16世紀になると大和の国も戦乱に明け暮れた。巨大寺社の権威が衰えて、外からの悪党と言われる勢力が入ってきたからだ。

三好、松永、筒井などだ。

寺社の荘園も安穏としておられない。誰かについて戦うしかなかった。須川、柳生、狭川・福岡は地域性を生かし同盟関係を作った。

多門院日記、天正12年、

 

現在は電子的に検索できるが、杉田 定市さんは興福寺に行き閲覧してきた

 

天正12年4月16日。「今暁従筒井簀川へ被取懸了」に始まる記録がある。「筒井 順昭自らが出向き、簀川(すがわ)の3つの城のうち2城が落ちた。簀川では簀川 藤八と息子、20数名が討ち死にした。本城は未無退城、筒井の手負いは数限りなし、討ち死にも多数。寄せ手は6000騎以上、城なかには僅か5-60騎云々、弓を取りて名誉不過簀川は誠に可ちょう良の武士かな」と最大級の誉め言葉。この落城後の様子の記録を杉田さんは探すとしていたが、一族全員が死亡したわけでなく、本城から多くの一族が逃れたようだ。

逃れれば興福寺内に、笠置山に、柳生に福岡にと逃げ隠れできるところがあった。

その2年前。

天文10年11月26日、

「伊賀衆笠置城に放火」の記事の中に付近の権力、木澤、小柳生、

簀川、六角、細川、三宅、伊丹、池田、三好、伊賀衆と畿内の権力者古市の小競り合いに出てくるのは伊賀の忍者と一緒に簀川の名前がある。なかなかきな臭い展開だし、ドラマチックな展開だっただろう。

このように様々な勢力間を興福寺の威力のある限りわたり歩いていたのだが、筒井勢が力を増すと形勢が悪くなったのだろう。

新人物往来社日本城郭体系10、三重奈良和歌山編には以下のごとくある。

須川城

須川は笠置に流下する白砂川の支流、前川の上流にあり、その下流は狭川である。簀(須)川庄の下司簀川氏は、康正三年(1457)に初見する一乗院方の国民である。応仁の乱では古市方に従い、以後、戦国初期にかけて、狭川氏と共に大体、古市方であったが、福智庄大柳生をめぐって狭川氏としばしば対立した。天文10年(1541)に木沢 長政に従っていたが、小柳生と共に裏切って木沢方の笠置城を襲った。長政に死後、筒井 順昭と対立し、同十二年四年十六日、順昭自らが率いる六千余の大軍に攻められた。当時、簀川に城は三つあり、まず二の城が落ち、簀川方の屈強の者たち二十余人が討死した。

死者の中に簀川 藤八親子の名が知られる。和束の者も一緒に討死した。本城は五-六十騎で守っていたが、翌日、多田氏の仲介で簀川氏は当尾に落ち、城は破却された。(多門院日記)

しかし、戦国時代末期には狭川、柳生と両氏と組んで万亀年間(1570-73)の松永・筒井両勢力の抗争時は、松永方にあって須川は郡山の付城に在番した。

降りて来たところのくぼみにある池

 

天文年間(1532-55)に三か所あったと言われる城のうち、当城がどれに当たるか不明であるが、現在、須川で確認できた城跡は当城だけである。当城は須川から大柳生へ越える道を扼する山上にある。

長辺29mの梯形の城郭の四周に低い土塁が巡っている。北隅に小さな腰郭が付属するが単郭の小城郭である。立地を規模から推して、物見の砦であろう。土塁に囲まれている形は狼煙台を想定させる。

昭和五十三年に、関西電力の鉄塔工事の影響で南面土塁の東半分が破壊されたのが惜しまれる。」とある。

奈良須川城は関西に多くいる城巡りの研究家の訪れる城のひとつらしく、様々なサイトに現れる。峠にある中学校の横から入り、上まで登った感想などが掲載されている。

須川 長兵衛 藤八親子4人が筒井勢との勝ち目のなり戦闘に及んだ時、

推察するに藤八は40歳を少し超えたくらい、息子は10代後半だったのでは。記録では3人の息子が討ち死にしたとある。

その他にも和塚 北五郎と言う家臣も。55騎しかの勢力で、

寄手、筒井方6000に大きな損害を与え、中坊 保利茂と言う武将が

須川に討たれ、その死傷者は数限りなかったと。

須川 長兵衛 藤八らは残りの一族の安全のために時間稼ぎか、名目の理由で戦ったのではないか?いずれ興福寺のためだけに戦ったのではない。

家族、一族のために戦ったのだろう。多門院日記では彼らの武将としての名誉をこれ以上ないほど礼賛していたが。

残りの城は開城したが、一族はしばらくして帰り、まだしばらく

様々な戦いに巻き込まれた。

戦う須川 長兵衛 藤八 それなりにカッコよい先祖だ

 

天正12年1543年は種子島に鉄砲が伝来した年だ。いみじくも日本の中世はこの武器により終わりつつあった。近世をみることなしに

死んだ藤八親子、もしかしたら時代の変わり目は感じていたかもしれない。大和武士の最後にふさわしい。

大和須川の山道

 

なお、永禄2年1566、藤八親子の討ち死にから23年経っていたころ、須川は筒井方になっており、付近の勢力と共同して松永氏と対抗していた。

大和北部のこの勢力を山中4個郷衆と呼び、それらは須川、狭川福岡、柳川(柳生)と、とも地、であった。

須川氏は一部が戻り戦国の戦いを続けていたようだ。日本の中世が終わり、近世が始まるまでの宿命であっただろう。

 

 

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大塔の宮護良親王の兜の謎

大塔の宮(おおとうのみや)護良親王(もりよししのう)の兜
―須川家に伝わるとされていたー

 

明治時代半ばまで須川 長右衛門家の家宝であったが、中平の永詳寺の火災で失われたと言われている。この話は親族の間や地元ではよく知られていたが、その由来に関しては語られていなかった。兜の存在は熊楠の須川家口述文に2回も述べられており、彼はこの兜が須川氏のなりたちに関係あるのではと推察していた。由来の兜と同じものが国立博物館の所蔵で先日、展示された。須川家の伝聞にも言われているようにとてもユニークな形状だ。吹き返しがしころと一体の小札で構成されている。この兜が須川家に伝わっていたことは客観的に事実であったと思われる。ではなぜ存在していたのか?

前立は三鍬形であり凄い。文化庁所蔵紅糸威星兜、護良親王兜

なぜ、護良親王の兜が須川 長兵衛家に。これは最大の謎で、その理由を熊楠も述べていない。

護良親王は14世紀半ば、御醍醐天皇と鎌倉幕府体制と足利幕府開府に反抗し、最後は鎌倉で殺害された。元弘4年(1335年)28歳だった。

14世紀初期、元弘元年(1331年)9月には笠置山(かさぎやま)で挙兵し、敗れ般若寺(はんにゃじ)に潜んだと言うことだが、この2点は距離的には10kmもなく中間点が須川城だ。須川家が熊野で記録されるのは17世紀初頭なので、兜は奈良の須川城で須川氏が親王から下賜ったものであった、そしてその際に様々な物語があった可能性が高い。護良親王が須川城に滞在したかもしれない。須川一族は16世紀末に、奈良から熊野への移転にもこの兜を家宝として大切に運んだのではないか・・と言うのが私の推測だ。(移転の理由はおって記す)

大塔の宮より兜と杯を賜る須川 長兵衛 元弘元年1331年

 

現在、文化庁が保管する護良親王の兜の由来は聞いてはいないが

問い合わせてみる価値はあろう。

熊楠も明治後期、上野の国立博物館の所蔵品に見たとしている。

この実物が須川家に伝わったものとすれば保存の程度が良すぎる気もする。

護良親王には楠 正成が呼応し尊王のシンボルとして明治維新直後に人気が出た。

元弘元年に奈良で須川氏を繋がりがあったことから、須川には天皇家の云々の話も出来たのかも知れない。

大塔の宮

この絵では兜はない

なお、護良親王は吉野、十津川などに移動した記録があるが、熊野の奥地まで入ったとか本宮にまで来られたかの記録はない。

従って、熊野に14世紀須川家がいたとしても兜が伝承される可能性は低かった。また、須川氏が源氏村上氏であったなら親王との

関係は敵対であった。

 

明治政府は明治初期、全国の天皇家にゆかりのある遺物の発掘を行っていたそうだ。地元の話でも、明治初期に偉い学者がこのユニークな兜のことを聞きつけて調査に来たことがあったとされている。

永詳寺の火事で焼けたとする記録と合わない。

 

兜は初めから終わりまで謎の多い存在だった。

 

追)

親王さまと言えば、誰も信じてくれないが、私は常陸の宮さまとお風呂に入ったことがある。2010年頃、千葉県のゴルフ場に妻と二人で行った。前の組に宮様ご夫妻がおられるとのこと。支配人が我々なら打ち込みなどのご無礼がないだろうとしたのだろう。初秋、天気の良い、平日でゴルフ場は空いていた。ゴルフが終わり大浴場に行った。この浴場は横長で一面のガラス、外は四季折々の景色が眺められる付き庭、広々した気持ちの良い風呂だった。風呂場は誰もおらずそのまま湯舟にドボンと。どなたか一人、ひっそりと浸かっていた。

体を洗い脱衣所にあがったら、常陸の宮様が私の裸を眺めるともなく、籐の丸椅子に腰かけて下着姿でマルボーロをくゆらせていた。

会釈をして私も支度を、いつもいる係員は離れて場所に、入口に黒い頭が見えていたが、警護であったろう。

宮様は穏やかに微笑み2本目のマルボーロに火を付けた。下着は絹の真っ白でなく少しベージュかかった色で、形はパンツ、ボックスでもブリーフでもない、シャツはスリーブがあるようなない、独特な形だったのを記憶している。

常陸の宮さまは火星さまと親しまれている。

現在の親王は眞子さまの父上秋篠宮であり、親王というのは天皇家にとっては継承権があり大変な存在なのだ。

僕と常陸宮様二人だけが風呂場にいたというのは当時のゴルフ場の状況から考えると、謎だった。

 

 

 

 

南方 熊楠(みなかた くまぐす)と須川家

熊野の須川家は江戸期初頭、17世紀になってからの系譜は分かっている。叔父須川 章夫と従兄 市朗がまとめた。しかし江戸中期以前、数百年は不詳、天皇家に繋がりがあった村上家と言う。
南方 熊楠が口述した「紀州須川家」大正14年3月「東牟呂郡請川村の須川家」5ページ分には川湯の須川 得郷家のことが目的に書かれたようだが、得郷家の分は茶化したような内容で2ページ、そして3ページほどは一番古い須川 長兵衛家に関してのものだ。また江戸期以前、戦国期の様子がある。その中に2度、大塔の宮(おおとうのみや)、護良親王(もりよししんおう)の兜の話が出て来る。
と。熊楠はこの兜は明治政府が天皇家ゆかりのものを収集した際に集めたものと推測しているように口述しているが・・
熊楠が紀州須川家ルーツに関して口述した内容はふざけて調子と事実でない内容もあるが、大筋は具体的、客観的で私はある程度、正確な内容・・と思う。
この文は口述なので、語りたいコンテンツの合間のおしゃべりも同等に記述されているので、信ぴょう性が疑われていた。
でも内容は奈良の民俗研究家杉田 定市さんに依頼して古文書などからまとめられた内容で信用できる。(別途記す)
大正期、田辺の歯科医須川 寛徳氏と熊楠が知り合いで寛徳氏の
先祖、請川の須川 忠兵衛家の話を口述しているうちに長兵衛家
(長右衛門家)の話と混同したのだった。

熊楠は大変な人だった。現在、小口の須川 謙一(父の従弟)の
家だったところには、南方さんと言う方が住んでいる。南方と須川は、何かの縁があったのだろう。
熊楠は植物学、民俗学の権威であり、明治期にメトロポリタン博物館と大英博物館の学芸員の資格を保持していた。言語力、観察力、分析力に秀でた人だ。その彼が須川家に関心を抱いて呉れたのは実に我が家の歴史を研究する意味で助けになった。また彼の独特の事象を多角的に結び付け結論を出す科学的手法は現在でも学術研究には使われており、分析力は信用できる。
独特の性格で茶化したり、冗談を交えてはいるが・・・

別冊太陽平凡社 南方 熊楠集

熊楠はエコロジー論の元祖のような研究者で紀伊半島の植物、特に粘菌の発見に功績があった。昭和天皇のご研究史にもその活動は出て来た。那智と、田辺に住み熊野一体は彼の縄張りであった。
紀州須川家に関しては田辺の須川歯科の当主とお話したが、須川歯科のことから口述始めたらしいがおおよその具体的内容は須川 長兵衛家のことだった。請川、川湯薬師寺の石塔などの寄進物は須川歯科のご先祖須川 忠兵衛家の寄進によるものだそうだ。


現在、多くは災害で倒れ、この手水鉢が残っている。
熊楠が採集に行く途中、須川家寄進の手水鉢を見ている図
「寛永弐年申 須川忠兵衛 寄進」とあり、五三の桐、表裏紋が大きく側面に入っている。紋は長兵衛家を同じであり、17世紀初頭
血縁があったことを示している。長兵衛と忠兵衛は兄弟か従弟同士であった可能性は高い。寛永二年は1625年、徳川家の統治が始まった頃だ。

私が撮影した実物

熊楠の須川家に関して口述した記事は南方熊楠全集6に5ページにわたり記載されているが、HPでも「紀州須川家」で検索できる。
4つの記事になっている。

彼が言うように植物研究で知り合った奈良県北部山添に明治から大正時代にかけて、杉田 定市さんがまとめた「柳生六百年史」の中に
「須川 長兵衛」と言う柳生新陰流の高弟がおり、その名前に興味を持ち調査してもらったのだ。
熊楠が昭和天皇ご興味を持たれたテーマを研究した田辺には
熊楠顕彰館という立派な設備があり、学芸員さんが熊楠と杉田さんの交換文書と「柳生六百年史」を公開してくれた。田辺には彼の植物研究の聖地、天然記念物、神島がある。彼の住居も移築されていた。
奈良市教育委員会によると杉田さんは奈良県北部の郷土史研究家で
一揆の記録を発見した人だそうだ。
杉田 定市さんの熊楠への報告は地図も添付され真面目な内容だ。
彼の研究テーマ上、須川 長兵衛のちの柳生 内蔵助の消息に関する情報は多いがまた大和須川氏に関しては多門院日記や奈良、京都の古文書を参考に正確な内容と判断できる。
また熊楠は大和武士は寺社の大和支配を背景にして発生したので、
平家も源氏もないと言う考えであった。

田辺の南方 熊楠顕彰館
〒646-0035和歌山県田辺市中屋敷町36番地

日本銃砲史学会研究目録

会誌研究目録

研究内容と著者

No 号数 年月 種別 題目 著者
1033 382 H27・6 論文 常識を覆す玉の存在―戦国合戦の理解の一助― 宇田川 武久
1032 382 H27・6 研究ノート ラオス北部における鍛冶技術と前装式銃 神野 信一
1031 382 H27・6 例会報告 鉄の起源そして和鉄、洋鉄 野崎 努
1030 382 H27・6 例会報告 ミニエ式小銃の20年間とその性能 須川 薫雄
1029 382 H27・6 例会報告 「てつほう」研究会中間報告 畑中 修二
1028 382 H27・6 資料紹介 江戸鉄砲小道具の世界 計量具 小西 雅徳
1027 381 H27・3 論文 西南戦争前後の火箭 高橋 信武
1026 381 H27・3 研究ノート 『火薬類通覧』から見た鉄砲用火薬について(前) 栗原 洋一
1025 381 H27・3 執銃マナーと打ち放し礼式―武道の視点からー 青木 孝
1024 381 H27・3 資料報告 大久保台遺跡から出土の大砲砲弾片の自然科学的分析 平井 昭司
1023 381 H27・3 江戸鉄砲小道具の世界 鉄砲袋と箱 小西 雅徳
H27・6 『銃砲史研究』平成26年度例会史料集 日本銃砲史学会
1022 380 H26・2 報告 幕末壬生藩における西洋砲術覚書―その受容と実態、 そしてテクノクラート友平 榮一― 中野 正人
1021 380 H26・2 研究ノート 中国における元明清下方研究文献の整理と紹介 鄭 鞼 鞼
1020 380 H26・2 研究ノート 銃器・弾薬類の発達 磯村 照明
1019 380 H26・2 資料報告 文久二年 米澤藩鉄砲用黒色火薬の成分分析について 瀧上 昭治、 峯田 元治
1018 380 H26・2 資料報告焔硝甕について-火薬製造と収納― 小西 雅徳
1017 379 H26・7 論文 日本における子砲式後装砲の展開 神田 高士
1016 379 H26・7 発表 19世紀イラン高原への新たな小銃および関連技術の流入とその影響 小澤 一郎
1015 379 H26・7 発表 松本城の火器仕様 青木 教司
1014 379 H26・7 発表 天正10年松本城小笠原鉄砲衆について 市川 慶一
1013 379 H26・7 発表 八重とスペンサー銃 加藤 高康
1012 379 H26・7 解題 艦砲射撃の命中率に関する黛論文について(後) 堤 昭夫
1011 379 H26・7 配布資料 ふたたび鉄砲伝来論―村井氏の批判に応える 宇田川 武久
 No. 号数 年月 種別  題目  著者 備考
1000  378  H25.5 論文  日本海軍における丁字戦法に関する一考察 堤 昭男
1009  378  H25.5 研究 ノート  幕末福岡藩と孔中八角銃身火縄銃 安田 修
1008  378  H25.5 研究 ノート  長薄公御遣事児嶋精功氏談話(抄)
1007  378  H25.5 解題  艦砲射撃の命中率に関する黛論文について(前) 堤 昭男
1006  378  H25.5 再録  日本海軍艦砲射撃の命中率の変遷(前) 黛 治夫
1005  378  H25.5 再録  日本海軍艦砲射撃の命中率の変遷(後) 砲術に関する用語の説明 黛 治夫 黛 治夫
1004  378  H25.5 例会発表  第391回例会報告(平成25年9月8日) 磯村 照明他
1003  378  H25.5 例会発表  第392回松本例会報告(平成25年10月19日) 青木 教司 市川 恵一 宇田川 武久
1002  378  H25.5 資料紹介  Ken Elks『日本の弾薬1886-1945,1,2』 須川 薫雄
1001  378  H25.5 資料紹介  黛 治夫『海軍砲戦史談』 名古屋貢
 
号数 年 月 著 者 題 目 ページ 備 考
1000 377 H25.9 前田達男 田口芙季  幕末佐賀藩における長崎砲台の見聞記録
999 377 H25.9 堤明夫 敵前大回頭に関する黛論文の評価と今日的実相
998 377 H25.9 飯島矢素夫 兵器生産の歴史から何を学ぶか
997 377 H25.9 名古屋貢 (文献紹介)宇田川武久著『幕末もう一つの鉄炮伝来』
996 377 H25.9 宇田川武久 (新刊紹介)『日本鉄砲の歴史と技術』
995 376 H25.6 岩田明広 埼玉県行田市埼玉古墳群で発見された忍藩角場について
994 376 H25.6 中江秀夫 峯田元治   小西雅徳 オランダ渡りというボンベン弾の鋳型から見た砲弾の造り方小西雅徳
993 376 H25.6 小西雅徳 西洋兵学書の翻訳について
992 376 H25.6 室賀脩 岩倉使節団の見た欧米軍事事情 特に鉄砲 関連 -米欧回覧実記によるー
991 376 H25.6 磯村照明 Spencer Rifle & Carbine with Cartridges
990 375 H24.3 安田 修 鉄砲から見た江戸時代砲術の分派と合流 ―国友丹波大掾の橘宗俊銘の鉄炮の検討からー
989 375 H24.3 前田 達男 田口 芙季 幕末佐賀藩における長崎砲台の配備記録
988 375 H24.3 名古屋 貢 陸軍大日記の中のスキー -仮想敵国ロシアに対する冬季作戦からの考察―
987 374 H24.12 前田 達男 幕末佐賀藩における鋳鉄砲の試射記録
986 374 H24.12 原田 喬 幕末の海防と反射炉・中小坂鉄山
985 374 H24.12 中江 秀雄 峯田 元治 岡崎 清 安井 純一 安乗神社の鋳鉄大砲
984 374 H24.12 宇田川 武久 鉄砲の出現と当世具足の出現
983 374 H24.12 木村 浩一 浪岡城の概要と歴史等
982 374 H24.12 宇田川 武久 幕末・津軽藩の海防と和洋砲術の展開
981 374 H24.12 須川 薫雄 青森県・岩手県の古式銃登録に関して
980 374 H24.12 平泉 喜久郎 津軽の変遷と浪岡城落城400年
979 373 H24.7 名古屋 貢 東三省工廠から奉天造兵所までの変遷
978 373 H24.7 山崎 和彦 中江 秀雄 薩摩筒の分析からの材質と製造法
977 373 H24.7 峯田 元治 薩摩筒の調査・追補解説
976 373 H24.7 今津 浩一 ペリー提督と開国条約
975 373 H24.7 須川 薫雄 日本製のゲベール銃
974 373 H24.7 松岡 孝治 狩猟2012原村
973 372 H24.3 安田 修 尾張藩の田付流千字文の鉄砲について
972 372 H24.3 宇田川 武久 豊後佐伯藩の大鉄砲―津田流から伊勢の守流へ
971 372 H24.3 伊藤 秀憲 初期江戸幕府の西洋砲の導入
970 372 H24.3 加藤 朗 辺境の硝石造り―祭りと火薬―
969 372 H24.3 北村 陽子 千代田型艦と宇都宮三郎のボート砲鋳造
968 372 H24.3 高橋 達郎 百人町 鉄炮百人組―今と昔―
967 372 H24.3 戸高 一成 「戦艦陸奥」のVC甲鈑
966 H23.12 宇田川 武久 日本における仏郎機砲の再検討
965 H23.12 名古屋 貢 東京砲兵工廠用地の変遷と第一次大戦中の出荷額比較
964 H23.12 小林 芳春 設楽原の鉄炮使用と鉛玉
963 H23.12 峯田 元治 大筒鑄之図―生型鑄型による大砲鑄造
962 H23.12 鈴木 松雄 陶製手榴弾製造の実態記録
961 H23.12 須川 薫雄 陶製手榴弾への疑問
960 H23.12 小野崎 敏 釜石鉱山と大島高任
959 H23.12 須川 薫雄 八九式重擲弾筒50㎜世界初の個人装備砲
958 370 H23.8 平井 昭司 佐賀藩反射炉から出土した鉄及び大砲鉄錆片の分析
957 370 H23.8 安田 修 野田清堯の鉄砲銘からみた武家の序列
956 370 H23.8 原 裕一 向ヶ岡弥生町に建設された警視局(庁)射的場と射的場関連遺構
955 370 H23.8 峯田 元治 芝辻理右衛門の大砲・研究記録
954 370 H23.8 須川 薫雄 前装銃世界大会に見るレプリカ銃と課
953 370 H23.8 須川 薫雄 24回MLAIC世界大会における日本の火縄銃審査
952 370 H23.8 峯田 元治 青木 健見 平成23年度総会報告・日本銃砲史学会会則 平成23年8月発刊
951 369 H.23.3 峯田 元治 日本銃砲史学会・産業考古学会鉱山金属分科会について
950 369 H23.3 北野 進 佐々木稔氏「幕末の反射炉操業と洋式高炉製鉄法」に変えて
949 369 H23.3 霜禮次郎 江戸内海のお台場とその大砲―和鉄から洋鉄へ
948 369 H23.3 梶原 利夫 湯島大砲製作所と増田家文書
947 369 H23.3 足立 恒 鉄と鋳物のおはなし
946 369 H23.3 小西 雅徳 有馬成甫・所荘吉両氏の銃砲史資料について(経過報告)
945 366・367 H22・11 宇田川武久 銃砲史研究の深化と体系化を望む
944 366・367 H22・11 峯田 元治 生田豊太郎先生を偲ぶ
943 366・367 H22・11 青木 孝 生田豊太郎先生のこと
942 366・367 H22・11 折原 繁 千葉県山田町所在の郵便保護銃について
941 366・367 H22・11 峯田 元治 立花家の鉄砲 三木流火矢筒
940 366・367 H22・11 小西 雅徳 加賀藩下屋敷における西洋調練・大砲鋳造について
939 366・367 H22・11 三好 仁 爆発衝撃による構造物破壊・成形爆薬の工業的利用
938 366・367 H22・11 中西 崇 小田原藩の村足軽制度成立をめぐる一考察
937 366・367 H22・11 北村 陽子 川越藩お抱え鍛冶蟻川和歌吉
936 366・367 H22・11 須川 薫雄 二人の兵器開発者
935 366・367 H22・11 宇田川武久 上杉景勝と直江兼次の鉄炮と炮術
934 366 H22.7 須川薫雄 日本の火縄銃目当てをめぐる議論その1(PDF)
933 366 H22.7 須川薫雄 2種の異なる日本戦闘機固定機銃7・7mm(PDF)
932 365 H22.4 小西雅徳(区立板橋郷土資料館館長) 鉄砲小道具の種類とその用途について-特に火薬入・口薬入を中心にー 1-22
931 365 須川薫雄 効率的だった日本の火縄銃と装具 23-35
930 365 安田修 救命投索砲について 36-58
929 365 岡崎清 国友鉄砲鍛冶小屋の現状 59-68
928 365 峯田元治 無可動・遭難信号用ピストルの一例 69-75
927 365 中原正二 資料紹介 峯田元治・中江秀雄著「江戸後期の鋳鉄製大砲」 76-77
926 364 H21.11 峯田 元治 松井文庫の大砲 増田安治郎作 1〜11 縦書
925 364 富原 道晴 会員情報 お詫びとお知らせ 64〜65
924 364 霜 礼次郎 明治21年 我が国初めての放鳥射撃大会 60〜63
923 364 霜 礼次郎 開国後、我が国初のライフル射撃 55〜59
922 364 中原 正二 火薬技術者 南坊 平造氏 45〜54
921 364 須川 薫雄 効率的なる日本の火縄銃 37〜44
920 364 室賀 脩 幕末欧米派遣視察団の見た鉄砲 万延元年遣米と文久元年遣欧使節 37〜44
919 363 H21.8 峯田 元治 会員著作案内・第7回日本銃砲史学会総会報告
918 363 川口 静夫 種子島の砂鉄について
917 363 織田 昌彦 長篠・設楽原鉄砲隊・愛知県古銃研究会
916 363 小林 芳春 火縄銃連続打ち(三段打ち)の検証 その一
915 363 大松 騏一 関口大砲製造所の6年間
914 363 小林 芳春 岩瀬忠震の開国感と品川砲台前後
913 363 久保田俊輔 中江 秀雄 火縄銃の製法解析
   
     
号数 年 月 著 者 題 目 ページ 備 考
912 362 H21.3 青木 健 土浦藩の鉄炮塚について 77~82
911 362 H21.3 須川 薫雄 陸上自衛隊武器学校技術資料館展示 60~76
910 362 H21.3 峯田 元治 第4回地方例会 自衛隊武器学校、予科練記念館、野田市民館 火縄銃と管打ち・縁打ち銃の見学 58~59 隊武器学校、野田市民館 見学
909 362 H21.3 川口 静夫 火蓋の鋳造について 50~57
908 362 H21.3 須川 薫雄 火縄銃と火打石銃の実用性比較 45~49
907 362 H21.3 峯田 元治 清国カルロン砲の鋳造技術 38~44
906 362 H21.3 小西 雅徳 清国カルロン砲の由来とその性格について 34~37
905 362 H21.3 伊川 健二 鉄砲伝来の史料と論点(下) 11~33
904 362 H21.3 中江 秀雄 安井 純一 永瀬家の鋳鉄製大筒の黒鉛組織 9~10
903 362 H21.3 峯田 元治 永瀬家の大筒の周辺から 3~8
902 361 H20.11 鈴木 輝彦 資料紹介 中原正二著「火薬学概論」 66
901 361 H20.11 峯田 元治 安田 修 小笠原 信夫 大垣藩田付家生国控と六代目の鉄砲 56~65
900 361 H20.11 伊川 健二 鉄砲伝来の史料と論点(上) 29~55
899 361 H20.11 須川 薫雄 三十年式装具と日露戦争 25~28
898 361 H20.11 中原 正二 横須賀重砲兵連隊 10~24
897 361 H20.11 中江 秀雄 大宮普門院の鋳鉄製大砲の化学組成と分析試料採取法 8~9
896 361 H20.11 峯田 元治 普門院の大砲と分析 3~7
895 360 H20.8 小高 正稔 資料紹介 海軍装甲技術史 戦艦富士・三笠から大和まで 寺西英之 慶友社 42
895 360 H20.8 第6回日本銃砲史学会総会報告 43~48
894 360 H20.8 須川 薫雄 資料紹介 日本の武器・兵器-火縄銃から機関銃までの4部作について 41
893 360 H20.8 峯田 元治 中江 秀雄 安井 純一 火縄銃、尾栓(雄ネジ)の調査 39~40
892 360 H20.8 峯田 元治 検証『田付流鉄砲のネジ』その一例 29~37
891 360 H20.8 須川 薫雄 日本への機関銃導入と開発 23~28
890 360 H20.8 磯村 照明 『歴史群像』の構成・編集にかかわって 16~22
889 360 H20.8 峯田 元治 12ポンド・ボート砲砲車の数値的検証 韮山の砲車はペリー贈のボート砲砲車である 10~15
888 360 H20.8 山田 太郎 日本銃砲史学会創立当時の思い出とこれからの展望 8~9
887 360 H20.8 磯村 照明 日本銃砲史学会の会計の独立採算制の採用 6~7
886 360 H20.8 日本銃砲史学会会則 3~4
886 360 H20.8 中原 正二 日本銃砲史学会再活性化のために 5
363 H21.8 日本銃砲史学会会則 03~04
(管理人記)

ライブラリー

日本銃砲史学会ホームページにて掲載していた「ライブラリー」のアーカイブ

論文集「銃砲史研究」寄贈先

国立国会図書館一般納本所
防衛研究所図書館資料室
靖国神社偕行社文庫図書館
陸上自衛隊土浦駐屯地武器学校資料室

日本帝国陸・海軍関係の教本

防衛研究所図書館資料室・個人
明治兵器学教程 兵器偏 明治40年
兵器学教程 東京陸軍少年飛行学校 昭和17年
兵器学教程 陸軍士官学校 昭和15年
軍制学教程 教育総監部 昭和4年
射撃学教程 陸軍士官学校 昭和13年版、17年改定
兵器検査の着眼 陸軍士官学校 昭和17年
諸兵射撃教範 陸軍省 昭和14年4月
兵器保存要領 陸軍省 陸普996 大正3年
兵器保存要領 第四編 陸軍省 陸普1214 昭和12年
検査の参考 陸軍歩兵学校編 昭和17年3月
測図学教程 教育総監部 昭和6年
手榴弾教育の参考 陸軍歩兵学校編 昭和14年5月
十年式信号銃
瓦斯防護教範 陸軍省 昭和18年5月
密林戦の参考 全般 教育総監部 昭和19年6月
満豪に於ける兵器使用上の注意 陸軍技術本部 昭和11年2月
歩兵対空行動 陸軍歩兵学校 昭和17年1月
戦況現示ノ参考 陸軍歩兵学校 昭和17年6月
小銃実包に就いて(復刻版)陸軍砲工学校 大正3年5月
兵器学教程兵器制式図 明治28年改定
兵器学教程兵器巻一附図 明治40年改定
兵器学読本 昭和8年
兵器学教程 昭和13年
兵器学教程 昭和15年
兵器学教程 全 昭和17年9月
兵器学教程 全 昭和17年改定
射撃学教程 1,2
実際的歩兵射撃術教育
応用戦線の参考 (射撃の部)
野戦射撃の必携 昭和13年
歩兵射撃教範
騎兵射撃教範
九一式防毒面取扱法
通信教範 1、2
歩兵対空行動
兵器保存要領
被服手入・保存法
陸軍軍需工場標準原価計算要領
九四式拳銃取扱法
甲種経理部幹部候補生用教程
十四年式拳銃取扱法 昭和6年
エンフィールド・スニーデル銃使用法
村田銃保存法
三十年式歩兵銃及び騎兵銃保存法
三八式歩兵銃及び騎兵銃取扱法
九九式小銃及び短小銃取扱法
九九式狙撃銃及び短狙撃銃取扱法
八九式重擲弾筒取扱法
八九式擲弾筒の参考
兵器保存要領 大正10年
三八式機関銃取扱法
三八式機関銃取扱上に関する注意
三年式重機関銃取扱法 陸軍省 大正7年6月
三年式機関銃に就いて 陸軍砲兵工科学校 銃工同好会 大正8年4月
十一年式系機関銃取扱上の参考 同附図 陸軍歩兵学校 昭和18年11月
十一年式機関銃 昭和8年
十一年式・九六式・九九式機関銃検査の参考 陸軍兵器学校
十一年式軽三脚架及び高射具
八九式固定機関銃 陸軍航空士官学校
八九式旋回機関銃、同(特)取扱法
九一式軽機関銃取扱法  陸普第5029号 昭和10年9月
九二式重機関銃取扱法  陸普第1272号 昭和11年3月
九二式重機関銃高射用具応急案説明書 第一陸軍技術本部 昭和18年5月
九二式車載一三粍機関砲取扱法 陸軍省 昭和11年
九二式重機関銃高射用具取扱法 陸軍兵器行政本部 昭和18年9月
九二式重機関銃の履歴書(海軍) 第2441号
九二式重機関銃射撃表 陸軍技術本部 昭和10年7月
重機関銃取扱上の参考 陸軍歩兵学校編 昭和13年8月
九六式軽機関銃取扱法         昭和18年3月
九六式軽機関銃三脚架(騎兵用)取扱法 陸軍省 昭和16年9月
九六式軽機関銃高射用具応急案説明書 陸軍兵器行政本部 昭和19年12月
九七式車載機関銃取扱法 陸普6332号 昭和13年10月14日
九七式車載重機関銃高射用具応急案 陸軍兵器行政本部 昭和10年12月
九七式自動砲取扱の参考 陸軍歩兵学校編 昭和17年11月
九九式軽機関銃取扱法 昭和16年10月
九九式軽機関銃取扱法 昭和18年3月
九八式高射機関砲説明書 陸軍技術本部 昭和14年2月
二式多連二十粍高射機関砲取扱法 陸軍省 昭和19年5月
二式軽量二十粍機関砲(ホ五)対空化の参考 陸軍兵器行政本部 昭和19年10月
四式基筒双連二十粍高射機関砲説明書 第一陸軍技術研究所 昭和19年6月
試製自動小銃(丙号)説明書 陸軍技術本部 昭和11年10月
四式自動小銃全体図 (真贋不明)
一八九六年「ルイス」軽機関銃説明書 陸軍技術本部 昭和12年7月
米国ガーランドM1説明書 第一陸軍技術本部 昭和19年9月
BAR1918・1919説明書 第一陸軍技術本部 昭和19年9月
機銃型別一覧表 海軍艦政本部 昭和14年10月
機関銃に関する研究資料 その四と五 陸軍歩兵学校 大正3年12月
機関銃教育参考 15巻 陸軍歩兵学校編纂
機関銃教育要領 上・中 陸軍歩兵学校 大正10年11月
軽機関銃各個分隊教練 巻1・2 陸軍歩兵学校編纂
戦闘各個教練の参考・小銃・擲弾筒・軽機関銃 陸軍歩兵学校編
空中射撃参考書 海軍航空隊 源田 次作 大正14年1月
飛行練習生用 空中射撃術参考書案 海軍鈴鹿
航空隊 小松良民、安田正夫編纂
歩兵機関銃操典草案 陸軍省 大正7年6月

工業史・産業史・社史

全国産業総連  東洋経済新報社 昭和19年
風雪と激動の40年  かやば工業社史 かやば製作所
日立工機25年史  日立工機株式会社
日立製作所史  日立製作所
ブラザーの歩み  ブラザー工業株式会社
兵器を中心とした日本光学工業史 光学工業史編集会議 昭和30年版
国家総動員史
精工舎史話  平野 光男著 精工舎
時計史年表  河合企画室 中央公論社
皮革産業沿革史 同編纂委員会編 東洋皮革研究会
愛三工業30年史、50年史
東洋工業30年史
政府関係造兵資料
日本産業火薬史 日本産業火薬史編集委員会 昭和59年
呉海軍工廠製鋼部資料集成一と二 山田太郎 編集委員会
中山蛙・今井今朝春著 「軍用カメラ大図鑑」 (株)グリーンアロー社刊
白澤章茂著 「トプコンカメラの歴史」 朝日ソノラマ刊 2007年

(以下は防衛研究所資料室図書館の蔵書)
豊川工廠史
陸軍兵器廠歴史 (一部)大正12年―、昭和18年別資料、明治45年―大正元年
名古屋陸軍造兵廠史、陸軍航)空工廠史 1986年12月
小倉陸軍造兵廠史 1988年4月
支那事変第一次陸軍管理軍需工場名簿
陸軍兵器廠主務監督工場 昭和13年3月
実績金額調査票 昭和16年以降
造兵廠現有設備能力概算 昭和17年
予算獲得説明資料 昭和19年度
主要火砲整備予定表 昭和19年度
主要軍需品製造施設一覧表 昭和20年度
兵器関係綴「関東軍」 昭和20年整備計画
終戦前後に於ける陸軍行政の概要
終戦直後の造兵廠現況綴 昭和20年8月17日
陸軍省大日記 昭和13年

日本兵器に関する文献 戦前・戦中編

青木保著「兵器読本」 東大教授 昭和12年10月
萱場四郎著「支那軍はどんな兵器を使っているか」 昭和13年1月
銅金義一著「銃器の科学」 山海堂 昭和18年
南部麒次郎著「或る兵器発明者の一生」 天竜出版社
古河幸雄著「青年軍事新書兵器」 大紘書院 昭和18年
山縣保二郎 陸軍砲兵大佐 著「小銃と火砲」 三省堂 昭和5年
古満末盛著 「空戦史」国防科学業書 昭和18年3月
「開願八十年史」 東洋文化協会 昭和8-10年
「アサヒグラフ」 朝日新聞社 昭和12年-15年ごろ各号
「世界画報」 世界画報社 昭和12-16年ごろ各号
歴史会編「日本陸軍史」 雄山閣 昭和7年
「兵器廠保存参考兵器沿革史」 陸軍兵器本廠 昭和4年11月
「軍事と技術」 陸軍技術本部高等官集会所 昭和初期各号
「航空記事」 陸軍技術本部内航空会 昭和6-9年各号
藤堂高象著「兵器篇」 文芸春秋刊 昭和7年
吉原短著「日本陸軍工兵史」 九段社刊
「弾薬取り扱い規則」 一二三館刊 軍用図書 昭和15年7月
「弾薬諸元」帝国陸海軍小火器用実包 兵器本部東京研究所 大塚編
「兵器ノ戦術的説明」 (株)尚兵館刊 昭和18年
石原豊次郎編纂「歩兵操典縦横之研究表解」昭和17年
「日本政府登録商標大兄」八類 帝国商工協会編 昭和12年

古式銃に関する日本の出版物

洞 富男著   『種子島銃』淡路書房 1958年
洞 富男著   『鉄砲―伝来とその影響』 恩文閣出版 1991年
洞 富男著   『日本の合戦』六 新人物往来社 昭和53年 (部分)
東京教育大学・日本古武道振興会編『日本武道全集』四 砲術 昭和42年
安齋 實著   『砲術』 人物往来社 1966年
安齋 實著   『砲術図説』 日本ライフル射撃協会 1988年
安齋 實著   『砲術家の生活』 雄山閣 1989年
所 荘吉著   『図解古銃事典』 雄山閣 昭和46年
所 荘吉著   『火縄銃』 雄山閣 平成元年
宇田川 武久著 『江戸の砲術』 東京書林 2000年
宇田川 武久著 『鉄炮伝来』 中央公論社 1990年
宇田川 武久著 『東アジア兵器交流史の研究』吉川弘文館 1993年
宇田川 武久著 『鉄炮と戦国合戦』 吉川弘文館 2002年
宇田川 武久著 『真説鉄炮伝来』 平凡社 2006年 宇田川 武久著 『江戸の砲術師たち』 平凡社 2010年
名和 弓雄著  『長篠・設楽が原合戦の真実』雄山閣 1987年
名和 弓雄著  『絵で見る時代考証百科1火縄銃』雄山閣 1989年
澤田 平著   『古銃』堺鉄砲研究会 平成7年
小笠原 信夫・安田 修著『全国鉄砲鍛冶銘鑑・銘地地域別分類』2001年
奥村 正二著  『火縄銃から黒船まで』 岩波新書 1970年
鈴木 眞哉著  『鉄砲と日本人』ちくま学芸文庫 2000年
鈴木 眞哉著  『戦国鉄砲・傭兵隊』 平凡社新書 2004年
占部 日出明著 『日本の砲術流派』 平成19年
日本学士院編  『日本造兵史』 日本学術振興会 昭和35年
笹間 良彦著  『日本の甲冑武具事典』柏書房 1981年
戸田 藤成著  『武器と防具日本編』新紀元社 1994年
かも よしひさ著『雑兵物語』講談社 昭和55年
佐々木 稔編  『火縄銃の伝来と技術』 吉川弘文館 2003年
青木 孝編   『高島流生兵教練抄』 緑錬武会 平成15年
松田 毅一著  『日本・ポルトガル交渉小史』ポルトガル大使館 1992年 佐々木稔編、関周一、峯田元治「火縄銃の伝来と技術」吉川弘文館 2003年
須川 薫雄著  『日本の火縄銃1』 光芸出版 1989年
須川 薫雄著  『日本の火縄銃2』 光芸出版 1991年
須川 薫雄著  『日本の火縄銃3』電子版 JW社 2009年

古典資料(大戦前)

浅野 長武監修 『図解雑兵物語』人物往来社 昭和42年
葛飾 北斎原画 『北斎漫画』 復刻版 小学館 2005年
所 荘吉解説  『中島流砲術管闚録』 恒和出版 昭和57年
所 荘吉解説  『大小御鉄炮鉄砲張立製作他』恒和出版 昭和57年
有坂 欽蔵著  『兵器考』 雄山閣 昭和12年田中
惣五郎著    『日本軍隊史』理論社 1954年
太田戌三著   『参考兵器』 誠文館新光堂 昭和12年

博物館等の図録

和歌山市立博物館編  『戦国時代の紀州雑賀』
嵐山美術館編     『鉄と漆の芸術』 昭和61年
長浜城歴史博物館編  『国友鉄砲鍛冶』 昭和60年
土浦市立博物館編   『火縄銃』 1990年
徳川美術・博物館編  『家康の遺産』 平成4年
堺市博物館編     『堺鉄砲』 平成2年
讀賣新聞社編     『鉄砲六百年史』昭和41年
板橋区立郷土資料館編 『江戸の砲術』 2007年
板橋区立郷土資料館編 『日本の砲術』2004年
板橋区立郷土資料館編 『小川是苦集』2009年6月14日
国立歴史民俗博物館編 『歴史のなかの鉄砲伝来』 2006年
大阪城天守閣編    『武家の装具展』1986年
江差町教育委員会   『開陽丸』 昭和57年
松本市立博物館    『松本城の歴史展』昭和60年
奈良本 辰也監修   『士農工商・武士官吏』平凡社太陽コレクション1979年
澤田 平著      『櫻町鉄砲』堺鉄砲研究会 年度不明
日本銃砲史学会    『銃砲史研究』1号〜364号
全日本軍装研究会   『軍装操典』
愛知県古銃研究会   『あい砲』

日露戦争日本語出版物

児島襄著 「日露戦争」1-5 文芸春秋社 1994
古屋哲夫著 「日露戦争」中公新書 1965
横手慎二著 「日露戦争史」中公新書 2005
信夫清三郎・中山治一著 「日露戦争史の研究」 河出書房 1959
大江志乃夫著 「日露戦争の軍事史的研究」 岩波新書 1976
デニス・ペギーライオナー著、妹尾作大男、三谷康雄訳 「日露戦争全史」時事通信社 1982
D.B.パラロス、エスターペロロフ著、左近毅薬「日露戦争の秘密」 1974
島貫生節著 「戦略日露戦争」上下 原書房 1980
B.M.コナフル著、妹尾作大男訳 「ロシアはなぜ敗けたか」新人物往来社 1989
大江志乃夫著 「日露戦争と日本軍隊」 立風書房 1987
陸軍省編 「日露戦争を語る参戦二十将星」 東京日日新聞 1935

日露戦争海外出版物

Official History of the Russo-Japanese War II, III, IV, V
prepared by Historical Section of the Committee of Imperial Defence 1908
Reports of Military Observers  The Armies in Manchuria during the Russo-Japanese War Part IV, reported of Major Charles Lynch 1907
The War between Japan and Russo
Russia and Japan and the war in the fareast by Frederic William Unger 1904
War between Russia and Japan by Hon. Murat Halstead 1905
The Japan Russia War by Sydney Tyler P.W. Ziegler Co. 1905
The Russian Advance by Albert J. Beveridge Haper & Brothers Publication 1904
The Russo-Japanese Conflict by K. Asakawa, Houghton Mifflin and Company 1904
Thrilling Stories of the Russian –Japanese War by General Nelson A. Miles 1904
With Kuroki in Manchuria by Frederick Palmer by James H. Hare C. Scribners 1904
Exciting Experiences in the Japanese-Russian War by Marchall Everett Henry Neil 1904
History of the War between Russia and Japan by Frederic William Unger, World Bible House 1905
History of the Russo-Japanese War, Cassell and Company Limited I, II, III,VI, V 1905
Collier’s Photographic Record of the Russo-Japanese War by James H.Hare 1905
Japan’s Fight for Freedom I, II, III by H.W. Willson, B.W.Young Carmlite House 1905
A Staff Officer’s Scrap –Book by Sir Ian Hamilton, Edward Arnold London 1906
Human Bullets by Tadayoshi Sakurai  Houghton,Miffflin and Company 1907

外国資料

The Machine guns I, II, III, VI ,V, IV by Gorge Chine
Hatcher’s Notebook by Julian S. Hatcher  NRA Library Book 1947

ギャラリー

日本銃砲史学会ホームページにて2019年3月まで、公開されていたミュージアムコーナーのアーカイブ。

新発見9:将校用小型拳銃収容嚢のデザインは「名古屋工廠」なり

はじめに)ここ何年か311災害の東北各県、その後の九州の地震などで多くの家屋が
崩壊し、再建築するために古い家屋を処分した。
その際に少なからず屋根裏、壁の空間、納屋などから銃砲刀剣類が発見され、当該地の
警察署に報告された。刀剣は問題ない、発見届けを出し、登録審査を通過すれば持てる。
古式銃は微妙であり、拳銃と弾薬は問題が多い。

陸上自衛隊武器学校資料館展示品 ブローニングのものだが造りが異なる
多くの各地警察署は陸上自衛隊武器学校に状況と写真を添付して尋ねてくる。
自衛隊にはそれに責任ある回答をする任務も義務もないが、以前は善意で答えていた。
しかし、近年は民間人で武器学校顧問である私にその任が回ってくる。
写真を観察し責任ある回答に心がけている。外国で博物館、収集家、本など多くの情報を研究した経験が生きている。
米国の友人たちも助けてくれる。以下はその一例である。

① 九州のある警察署からの問合わせの例
とある家で故人の遺品として、小型コルト拳銃と装具、弾薬100発、発見が報告された。
その方は技術曹長だったそうだが、終戦と同時に尉官になった。「裕福なご家庭で
なかったですか?」「弾薬のケースの頭がピンク色ではないですか?」の質問をした。
(けして弾薬を試してはいけないとも伝えた。古い弾薬は危険だからだ。)

② 装具品は収容嚢、弾入れ、すべて未使用で良い状態の写真が付いていた。
これは珍しい。収容嚢に名古屋工廠昭十七.七月と鯱の刻印が見えたのだ。
弾薬収容嚢は厚い皮革でこれには「大」大阪工廠と△の刻印、五〇発入用だ.
ブローニング、コルト小型拳銃弾倉は異なるが(ロスの葉山さんに教えて
いただいた)同じ。32ACP弾を使用し、日本の工廠で製造、供給していた。

③ 武器学校への寄贈を依頼する。
警察庁の許可を得るという返事だったが、紙箱もお願いした。
これはありがたい。依頼の文書と鑑定は私が書いた。
なぜ重要かというと帝国日本軍の拳銃収容嚢は南部小型も含め、フラップ
(蓋の両端がつまみ型になっていて、柔らかいながら実用的かっこいいからだ。
南部小型、ブローニング、コルト各々微妙にサイズが異なるが同じデザインなのだ。
(南部小型には様々な形があり、町の靴や製など不格好なもののある)

武器学校には小型コルト32口径はあるが、収容嚢はなかぅたし。
いただいたものには負皮帯がなかったが。

名古屋工廠歴史には1930年代後半に中国で多く鹵獲したコルト整備したと
ある。(葉山氏は50-55代シリアルが日本に正式輸入され、この拳銃は40万代
で中国で鹵獲したものの払い下げだった
寸法 11x4x0.55cm
勿論価値のあるのは日本製だ。カタカナの「ス」が大きくスタンプされている。

50発拳銃弾箱がこの収容嚢に入る。

水交社の販売だったのか、持主は帝国陸軍だったのか、帝国海軍だったのか?不明だ。
終わりに)
東北から出る古式銃は登録できないほど、改造し、痛んでいるものが多い。特に珍しいものも少ない。
警察署、警察庁が正確な判断をしてくれると今度のような新発見がでる。
葉山氏は日本の収容嚢に入った小型コルト32口径を5セット観察したが、製造刻印のあるものはなかたそうだ。
この拳銃の収容嚢以前にも製造者が不明な収容嚢は沢山あるが、刻印を打つくらいだから、元は名古屋工廠で
あり、ブラザー工業などが製造した可能性は高い。警察署と葉山しに感謝する。
(以上)

参考価格一覧表(2000年価格と2014年改訂価格比較)

このサイトに出てくる様々な収集物の完全品参考価格である。日本の火縄銃類は文化庁の登録が付いているものであり、1990年頃をピークとして3-40%の値下がりを示してきた。しかし健全な品々はそれほどの値下がりはなく、
もし購入するなら信頼おける業者から健全品を購入すれば問題は少ない。
(不景気の間に様々な贋作、それに近いものが多く出てきたのは残念な傾向であった。)
一方、アメリカにおける日本の軍用品価格はこの20年間ほど、上昇を続け
また品々が収集家の手に集まりマーケットに出て来ない例も沢山ある。
小銃関係でみれば村田銃は許可が要らないので、人気がある。しかし小銃、拳銃、機関銃などは各々、州政府、連邦政府の収集のためのライセンスが厳しくなり、以前ほど簡単な手続きでは済まない。配送にも規則がある。
アメリカにおける価格には1、ガンショーなどで購入する場合と、2、オークションハウスで購入する場合があり、2、は15-20%の手数料、配送費が掛る。
また、拳銃においては弾倉が本体と同じ番号、小銃は菊紋が健全で熕棹が本体と同じ番号が条件である。2000年頃の価格は管理人が査定した。
2014年3月の価格は日本円の品は管理人が、アメリカにおける品々のドル
価格は同地収集家が査定した。日本経済の状況をみると恐らく本年夏ころか日本における品々は上昇に転じ、5年後くらいには20%以上の付加価値が付くものと予測される。いずれにせよ、収集は信頼おける業者、オークション、個人から購入することが最大の条件であろう。

 

古武器関連品

   
火縄銃
2003年当時
価格 ¥
2014年
改訂価格 ¥
標準サイズの外カラクリ
260,000-
象眼装飾ありは\50000-増し 200,000-
薩摩筒 六匁
320,000-
300,000-
仙台筒 五匁
280,000-
250,000-
阿波筒 一匁半
380,000-
300,000-
東北の番筒 全長115cm 四匁半
270,000-
180,000-
狭間筒 全長150cm
720,000-
700,000-
大狭間筒 全長170cm 十匁
1,200,000-
110,000-
十匁筒
650,000-
象眼装飾ありは\100000-増し 600,000-
馬上筒 五匁
300,000-
象眼装飾ありは\70000-増し 280,000-
短筒
480,000-
象眼装飾ありは\100000-増し 400,000-
三十匁筒
1,700,000-
1,200,000-
五十匁筒
2,200,000-
2,000,000-
和製管打ち銃
125,000
100,000-
火薬入れ
35,000-
家紋入り \45000- 30,000-
口薬入れ
20,000-
家紋入り \35000-
大名家もの\70000-
18,000-
玉型 二匁程度
10,000-
大きいもの小さいものは割り増し
十匁用\45000-
8,000-
からす口(皮製の玉入れ)
23,000-
20,000-
標準早合 (1本当たり)
10,000-
三十匁用 \27000-
角製 \37000-
8,000-
陣笠
35,000-
家紋入り \45000- 30,000-
鉄砲袋 布製
85,000-
85,000-
鉄砲袋 革製
155,000-
160,000-
胸当て 布製
25,000-
18,000-
胸当て 革製
55,000-
50,000-
胴乱
45,000-
家紋入り\63000- 40,000-
胴火
38,000-
40,000-
火打ち道具
20,000-
15,000-
鉛柄杓
10,000-
10,000-
玉薬箱
180,000-
200,000-
2003年当時
価格 ¥
2014年
改訂価格 ¥
重藤の弓
260,000-
250,000-
数弓
78,000-
70,000-
半弓
220,000-
200,000-
李満弓のセット(弓、矢、台)
350,000-
300,000-
練習用の矢(4本組)
3,000-
2,000-
征矢 一般の鏃付き(1本当たり)
20,000-
20,000-
鏃(1本当たり)
9,000-
8,000-
透かし鏃(1本当たり)
20,000-
20,000-
鏑矢(1本当たり)
65,000-
60,000-
弓の皮革製収容嚢
200,000-
200,000-
矢籠(しこ)
155,000-
160,000-
槍・薙刀
2003年当時
価格 ¥
2014年
改訂価格 ¥
素槍 長いもの
250,000-
200,000-
素槍 穂先の長いもの(中身)
350,000-
150,000-
素槍 短いもの
100,000-
80,000-
十文字槍
380,000-
350,000-
薙刀
150,000-
150,000-
石突
20,000-
10,000-
15,000-
15,000-

軍用兵器と関連品
 
小銃・拳銃と関連用品
2003年当時
価格 $
2014年
改訂価格 $
村田銃十三年式歩兵銃
700-
1,700-
村田銃十八年式歩兵銃
600-
1,200-
村田銃十八年式騎兵銃
1,500-
2,000-
村田銃二十二年式歩兵銃
1,200-
1,500-
村田銃二十二年式騎兵銃
2,000-
2,000-
三十年式歩兵銃
350-
350-
三十年式騎兵銃
750-
1,200-
三十五年式歩兵銃
1,800-
3,000-
三八式歩兵銃初期
380-
600-
三八式歩兵銃中期・後期
350-
500-
三八式歩兵銃騎兵銃
300-
600-
四四式騎兵銃
550-
800-
九九式長小銃
400-
700-
九九式短小銃
280-
400-
九九式短小銃 後期
120-
300-
二式小銃
700-
2,500-
九七式狙撃銃照準眼鏡
(収容嚢付き)
2,200-
4,500-
九七式狙撃銃照準眼鏡
(収容嚢付き)
2,250-
4,500-
照準眼鏡
850-
収容嚢は$400 2,500- (500)
二十六年式拳銃
250-
収容嚢は$200 4,500- (300)
南部式拳銃甲
12,000-
20,000- (3,000)
南部式拳銃乙
3,600-
収容嚢は$500 4,000- (700)
南部式拳銃小型
4,000-
収容嚢は$1200 4,500- (15,000)
十四年式拳銃初期
370-
収容嚢は$200 800- (300)
十四年式拳銃後期
300-
収容嚢は$200 700-
九四式拳銃
290-
収容嚢は$250 900- (350)
十四年式拳銃予備弾倉
(1個当たり)
70-
120-
九四式拳銃予備弾倉
(1個当たり)
80-
130-
十四年式拳銃手入れ棒
50-
120-
九四式拳銃手入れ棒
65-
150-
250-
拳銃負い紐
250-
250-
小銃負い皮
110-
250-
銃口蓋 ベークライト
70-
100-
銃口蓋 金属製
100-
130-
箱入り8mm弾
110-
200-
箱入り 6・5mm弾
100-
150-
箱入り 7mm弾
90-
150-
機関銃と関連用品
2003年当時
価格 $
2014年
改訂価格 $
三年式機関銃
(尾筒切断・溶接処理、銃身溶接処理)
3,300-
三脚架付き 九三式
30,000-
陸軍一式航空機用固定機銃
(12.7mm)
1,850-
尾筒片面プラスティック 30,000-
十一年式軽機関銃
2,300-
尾筒切断・溶接処理 12,000-
九六式軽機関銃(同)
弾倉付き
1,850-
16,000-
九九式軽機関銃(同)
模擬弾倉付き
1,450-
16,000-
一〇〇式短機関銃(同)
模擬弾倉付き
2,650-
10,000-
九六式・九九式弾倉
450-
64,000-
弾倉収容嚢 負い紐なし
200-
300-
弾薬収容嚢 負い紐付き
400-
400-
十一年式手入れ具一式
1,450-
2,000-
九六式手入れ具一式
1,050-
2,000-
九九式手入れ具一式
970-
2,000-
装弾器 収容嚢付き
750-
1,500-
軽機 照準眼鏡
430-
収容嚢は$150― 1,000- 1,500-
海軍25mm機銃弾
70-
150-
陸軍20mm機銃弾
60-
130-
81mm迫撃砲弾
150-
200-
携帯兵器と装具
2003年当時
価格 $
2014年
改訂価格 $
弾盒 前 (1個当たり)
85-
300-
弾盒 後
265-
500-
弾盒 油缶
100-
150-
弾盒 ネジ回し
100-
150-
革帯
220-
250-
銃剣差し
80-
100-
前期鉄帽
1,800-
2,500-
九十式鉄帽
450-
600-
九十式海軍鉄帽
520-
800-
後期海軍鉄帽
400-
700-
小円匙
280-
収容嚢ありは$420 350-
鉄線鋏
440-
収容嚢ありは$650 700- , 1,200-
其の他土工道具
250-
 300-
分離式防毒面
250-
350-
八九式双眼鏡 収容嚢負い紐
280-
350-
九三式双眼鏡 収容嚢負い紐
210-
350-
九三式観測鏡 収容箱
200-
400-
十年式擲弾筒(孔開け)
850-
1,200-
八九式擲弾筒(孔開け)
520-
800-
八九式榴弾
95-
300-
九一式手榴弾
200-
300-
九七式手榴弾
120-
300-
九八式柄付き手榴弾
680-
1,500-
九九式手榴弾
120-
300-
通信機・信号銃
2003年当時
価格 $
2014年
改訂価格 $
九二式電話機 革収容嚢なし
220-
300-
其の他電話機
190-
300-
九四式 六号 無線機
540-
1,800-
九四式 六号 発電機
350-
1,500-
九四式 六号 アンテナ
500-
1,500-
其の他無線機
(受信機か送信機のどちらか単品)
400-
500-
道具類一式
360-
500-
電鍵
120-
200-
ヘッドフォン
120-
200-
陸軍十年式信号銃
(小倉工廠製)
380-
収容嚢は$240- 500-, 300-
海軍九十式2連信号銃
(萱場製)
330-
収容嚢は$250- 600-, 300-
海軍3連信号銃
(萱場製)
640-
収容嚢は$600- 800-, 1,000-
海軍九七式単発信号銃
(川口屋製)
650-
収容嚢は$1000- 1,000-, 1,200-
海軍索投擲銃
(川口屋製)
850-
1,500-
35mm 信号弾薬夾
100-
150-
28mm 信号弾薬夾
120-
150-
銃剣・軍刀
2003年当時
価格 $
2014年
改訂価格 $
村田十三年式
350-
鞘付きは$700- 1,300-
村田十八年式
250-
鞘付きは$600- 1,200-
1,200-村田二十二年式 鞘あり
480-
700-
三十五年式
750-
1,500-
三十年式初期
65-
100-, 300-
三十年式中期 黒染め
50-
150-
三十年式後期 樋なし
40-
100-
三十年式後期 木鞘
100-
100-
三十年式後期 ゴム鞘
250-
150-
二式短剣
1,200-
1,600-
銃剣鞘
40-
50-
徒歩刀
200-
350-
三二式下士官刀
300-
350-
九五式下士官刀
450-
700-
教練用具
2003年当時
価格 $
2014年
改訂価格 $
教練銃 三八式型
100-
150-
教練銃 九九式型
120-
150-
教練銃剣
55-
70-
南部式小型教練銃
650-
800-
南部式小型教練銃用銃剣
550-
700-
教練用軽機関銃
(切断溶接処理)
1,800-
2,200-
教練手榴弾 金属
130-
150-
教練手榴弾 セラミック
50-
80-