幕末・維新からの日本安全保障と外交の系譜
内容 Contents
- 幕末・維新期、西欧諸国との外交とその後の近隣地域との軋轢
- 日露戦争から第一次世界大戦までの日本外交力と軍事力の均衡
- 国家安全保障の基本概念は今も昔も普遍
- 日本の「絶対平和主義」への疑問
- 軍事費と戦費は別なもの、はたして日本は効率的「国防」ができるか
幕末・維新期の日本の危機は、日本が西欧に圧倒的に遅れていた軍事力だった。近代的軍事力形成には国の根幹だった政治と社会制度の変換が必至であった。近代化の一歩は明治維新においてからくも実現した。この頃、安全保障問題と外交に関わった福澤諭吉、大鳥圭介などの外交や軍事の知識を持った人々は、明治初期の日本の進展をどのように捉えていたのであろうか。幕末・維新期に日本には大きな安全保障上の脅威と危機が存在していたが、明治初期は新たな脅威と危機が芽生えた。
朝鮮半島を巡る清国や露西亜との対立であった。これらの問題にも様々な局面で西欧列強は蜘蛛の巣のように絡んでいた。多くの維新期を経験した人達の論評は日清戦争までしかないが、彼等の日本とその安全保障論は科学的な軍事知識と文明論に基づいた分析であり、その意識には恐らく現在にも普遍と感じられる要素も多々存在してた。維新後の進化を評価できるがしかしこれで本格的近代国家になるのであろうかとの危惧との二面の意識をもち、状況に一喜一憂した。
当時の見識者の一人、福澤諭吉は著書『文明論之概略』において戦争論を述べていた。国家の独立は文明であり各国交際、文明国の人々、国々の水準が同程度であること、平均化することが必要であると。
Fukuzawa believed that national strength ultimately depended on the independence of its people. Personal independence was foundation of national independence.
He strongly rejected dogma, arguing that a nation must be built on independent free-thinking individuals.
① 幕末・維新期、西欧諸国との外交とその後の近隣地域との軋轢
Diplomacy During the Meiji Restoration and the Late Nineteenth Century
幕末・維新期の危機とは具体的には文久3年(1863)の薩英戦争と長州4ヶ国艦隊戦争、それに慶応3年(1867)の鳥羽伏見の戦いに続いた戊辰戦争だった。日本の内乱の危機が拡大してそれが現実化していたら状況は変わっていたであろう。国家の統一が唯一の解決策だった。福澤は明治政府は結果的に「攘夷論者」が創設したと何度か述べていたが攘夷論は幕末・維新期には対西欧であって、明治期の日本の西欧化段階で消滅したのではない考えられていた。西欧の文献にも明治維新を半野蛮 (semi-barbarism) と記述する言葉が出ていたが日本の西欧化は国際的に認知された。
幕末・維新期、阿蘭(オランダ)は日本の第一の理解者であったと評価される。江戸期に250年にもわたるほぼ独占的な交流の下地があったからだ。また幕末・維新期には同国は野心的な大国には列せられていなかった。文久2年(1861)に訪欧した福澤は阿蘭の良い対日気配を感じて様々に記していた。また、当時の英・仏そして米は日本に侵攻して日本を直接統治し植民地化する実力はなかったことは各種記録から明らかだ。しかし日本が混乱したら何が起きてもおかしくない状況であった。現実的には彼らは交易を有利に展開、活発化させ事業的、ビジネス面で利益を上げることに邁進した。背景には日本の魅力的な産物と幕府が内容を理解せずに締結した不平等条約もあった。日本にはそれだけの資産と市場の可能性があったからだ。当初、日本側はこれらの国々に対しては同じ距離感で交際していた。米国は太平洋を挟み特に大陸西海岸に開発が進展すると日本との関係構築に積極的だった。
何よりもマッシュ・ペリーの開国交渉、そして明治12年(1879)にはユリシーズ・グラント前大統領(18代)が訪日して明治天皇に謁見した。Ulysses S. Grant(1822~1885) は明治天皇に新型のガトリング砲2門を贈った。
明治初期、日本は上記のような西欧国との安全保障上の問題は薄らいだが近隣地域、朝鮮半島とそれを実行支配していた清国との間の軋轢が高まった。結果、日清戦争、明治27~28年(1894~1895) が勃発し米国の仲裁で講和した。この戦争は領土の問題はさておき賠償金を得て日本にとっては割の合った事業であった。大鳥が清国、朝鮮において戦争勃発まで外交官として勤務していた当事者であった。
その後、明治33年(1900) に起こった北清事変 (清国と西欧国との北京における具体的衝突)が一つの転機だった。日本は完全に西欧側に立った国家になり、すでに亜細亜の一員ではなくなった。重要なことはその後、英国が日本の露西亜 (シベリア鉄道の権益など)と独逸 (山東半島進出)への抑止勢力になることを認識して「日英同盟」を結んだことだ。西欧勢力で亜細亜への後発勢力であった露西亜と独逸の進出が活発化していた。福澤はこの状況を予測し日本が亜細亜で覇権を争うと西欧が絡んできて特に朝鮮半島は露西亜の南下政策にはなくてはならない戦略であったから、いずれ日本とぶつかり合う状況だった。福澤はそのために米国か英国との同盟関係樹立が日本の重要選択肢であるとの論を唱えていた。
それが清国との対立で朝鮮への支援を唱えた理由だ。幕末・維新期の安全保障を経験してきた人間の発言だった。日本の安全保障論は対露西亜に集約された。すでに清国は衰退していた。英国が危惧していたのは露西亜だけでなく、大陸を抑えることができる山東半島の独逸の進出だった。福澤は明治28年6月21日「時事新報」 社説で日米同盟必要性の第一声をあげた(石河幹明著『福澤諭吉伝』)。
明治35年(1902) の日英同盟 (Anglo-Japanese Alliance) 締結は日本の安全保障策としては現在の日米同盟に匹敵した重要な軍事同盟であった。この背景があって2年後に日本は露西亜との開戦に踏み切った。
福澤、おそらく大鳥も予測し望んでいたであろう同盟は後に第一次世界大戦で大日本帝国の英国援助の基礎になった。日英同盟は日本の外交力が西欧と対等に交渉できる能力にあったことを証明した。また国家の方向性に外交が如何に重要であるかを知らしめた。大鳥圭介は外交官として日清の間の調整を行った。20世紀になると外交官、林菫(はやし・ただす、交詢社3代目常議委員長・理事長)が英国大使として日英同盟の交渉と署名を行った(同盟は軍縮条約の過程で大正12年(1923)失効した)。
Fukuzawa also advocated expanding Japan's naval power. He even suggested increasing alcohol taxes as a practical way to fund naval expansion, despite being a moderate drinker himself.
幕府が19世紀半ば、安全保障上の問題と捉えた麻薬問題は現在の世界でも大きな課題である。麻薬不法取引は米国と中南米諸国の間で2020年代になり軍事行動が是認されるほどに拡大している。中国が開発したフェンタニル (強力な合成麻薬)がそれに続いている。日本はこの課題に関しては歴史的に一貫した強い姿勢を取っている。幕府安全保障の評価の一つであろう。
福澤はアヘンを「文明の敵」であり「国を滅ぼす甘美な毒」として防衛の必要性を語った。「独立自尊」個人と国の独立に麻薬は大いなる危惧でありその取り締まりが国家の重要施策であることは、今も昔も変わりがない安全保障上の事実である。
② 日露戦争から第一次世界大戦までの日本外交力と軍事力の均衡
The Balance Between Japanese Diplomacy and Military Power
亜細亜の大国であった清国が北清事変後に急速に勢力を失った。北清事変が一段落してからの露西亜の満州から朝鮮半島までの積極的侵攻は目を見張るものがあった。露西亜が朝鮮半島を圧することは日本への脅威であった。次は日本列島に侵攻する意図だったからだ。日露戦争、明治37~38年(1904~1905) は旅順の攻略、満州での地上戦、そして1905年5月27日の日本海海戦と、大日本帝国は曲がりなりにもまた大きな犠牲を払い勝利した。特に日本海海戦圧倒的勝利の意義は大きかった。
日露戦争は日清戦争と戦争期間は同じくらいだったが、戦争自体とその戦費、犠牲は数倍の規模だった。米国セオドア・ルーズベルト大統領の仲裁でポーツマス条約が結ばれた。Theodore Roosevelt Jr.(1858~1919)第26代、彼のモットーは「speak softly and carry a big stick(棍棒)」。彼はこの功績で1906年、初代ノーベル平和賞を受賞した。日露戦争で日本は領土の拡張はあったが賠償金を得られず大日本帝国は朝鮮半島を統治し樺太、千島を領有した。何よりも露西亜の清国や朝鮮への侵略を阻止した。日本は大砲以外の地上兵器の殆どを国産で賄いその性能と品質は良好でまた生産は効率的であった。小石川小銃製作所の三十年式小銃生産は日産1,000挺など(須川薫雄著 『日本の軍用銃と装具』)。日露戦争は世界史に新たな国家間戦争の図式を持ち込み、近代戦争つまり塹壕戦や蒸気船同士による海戦、新兵器の出現を生んだ。塹壕戦は福澤の維新期の研究にもあった古典的な戦法だった。その戦闘の近代版の雛形を示した。戦争中や直後に英国の観戦武官や報道機関による写真集、書物、葉書、写真などが多種出版された。それらは日本と露西亜、双方からの取材で内容的には公平であったが、日本贔屓が顕著であった。当時、発達した写真技術が夜間以外の重要な記録となった。青年期のダグラス・マッカーサーは観戦武官であったことを自ら頻繁に語っていた。本当は戦地には赴いてはいなかったし、明治天皇にも謁見していなかった。
書物には大日本帝国陸海軍の人道性も多く示されていた。これらの本には私たちが知らない日本の情勢や状況が記されているのでさらなる研究が必要だ。なかには明治天皇を「ミカドは背が高い (180cm)、がっちりとした体格である。英米の主要雑誌は全て自分で読んでいる。彼の関心は国民とその統治にほとんどが集約されている。皇居は地震対策のためピッツバーグ製の鉄骨で作られている。」などと記してある。
日本赤十字社は大鳥、福澤とほぼ同時代の「適塾」 卒の佐野常民が西南戦争時に創設した。日清戦争中、福澤は「時事新報』紙面でその人道主義と活動を高く評価して寄付を募った。
日露戦争の結果は賠償金などではなく大日本帝国が軍事的外交的発展を加速したことだったと評価される。露西亜は現実を認識せずに国力の衰退、人民の不満を招いて、やがて「ロシア革命」を迎える。日露戦争は世界史上、最大の出来事の一つに数えられるものだ。この戦争を機に列強は弱った露西亜に向かい、独逸と英国などの対立は直ぐに第一次世界大戦に進展した。大戦の結果は近世的帝国主義国家、独逸、オーストリー・ハンガリー、オスマン土耳古そして帝政露西亜の崩壊を招き新たな国際秩序が生まれた。大英帝国も相対的に衰退した。10年前の日露戦争が世界大変動のきっかけを作った。第一次世界大戦中に大日本帝国は英国、露西亜への兵器援助と帝国陸軍の青島攻略、帝国海軍の南太平洋方面と地中海作戦など積極性はあったが、直接大陸の戦闘には参加していなかった。
大戦中に艦艇、潜水艦と大型戦艦、航空、火砲、機関銃、そして戦車・戦闘車両などの近代兵器が大発達した。
空にはアンリ・ファルマン機が10機、飛行船も飛んでいたが技術の元は西欧のものだった。
外交活動で大戦は抑止できなかったが、戦後に国際連盟・League of Nations 本部スイスジュネーブ 1920~1946、が米国が提唱し創立された。しかし米国は政策転換で参加しなかった。国際連合は集団安全保障、軍縮、仲裁による紛争解決を目的にした組織であった。
画像 1918年クリスマス NY タイムズ紙広告
「勝利、民主主義、平和」の3女神を使っていたが世界情勢からの意識的隔離があり現実的平和論が不足していたのであろう。58ヶ国が参加した。1932年、日本が脱退、独逸、ソ連、伊、西班牙が脱退してその後、ナチス (第3帝国)とソ連の2大軍事主義国家が勃興した。米国の安全保障、外交への消極性への独自の急激な変換は世界に大きな影響を与えた一例だった。日本が幕末・維新期、福澤や大鳥が思いもよらなかった大日本帝国が西欧と同等かそれ以上の軍事大国になったと意識したのは大正末~昭和初期、1920年代初期ではなかったかと考えられる。ここで日本や日本人の西欧や亜細亜に対する意識の大変革が起こった。
大きな背景は大日本帝国による台湾や朝鮮半島の統治と中国の衰退、露西亜の変革 (ロシア革命・Russian Revolution 1917~23年)による混乱で、もしかしたら大日本帝国は自身が西欧の各国と肩を並べたかそれ以上に超えたのでは勘違いしたのではないか。大日本帝国の基礎は明治の文明論、産業革命、国の近代化そして軍事など殆どを西欧から学んだという史実の謙虚性を忘れてしまった。ここで幕末・維新期の福澤や大鳥そして多くの西洋学を日本に紹介した人々の努力は忘れられたのではないか。
外交面でも不遜な態度がみられ、対支21ヶ条要求、満州での関東軍 (大日本帝国陸軍が露西亜から得た鉄道権益を守る帝国陸軍組織名から)の暴走などだ。川島真は「稚拙」と評した。
昭和になり大日本帝国が急速に軍事化する背景には数多くのテロやクーデターが続いて幕末・維新期の様相があった。その背景は深い思慮も本当に国を憂う精神もなかったという論は的を射ているのではないか。若手将校 (尉官) は日本社会や政治また国際関係への知識が著しく欠落し、判断力がなかったのであろう。それは当時の全国民にも同様であったかもしれない。
第一世界大戦から第二次世界大戦の間の世界の安全保障論、戦争論は評価が難しく、この研究の及ぶところではない。しかし、幕末・維新期の状況や日本の意識から考えると、中国に対しては明らかに見くびった外交と軍事作戦ではなかったか。中国が国内が混乱して建設的外交的議論を否定していたのも事実だ。一つだけ明らかなのは日本の第二次世界大戦の開戦、南方進出は自らの「行き詰まり」つまり幕末の状態と同じに陥っていたのだろう。しかし占領した広大な南方、亜細亜の統治能力は軍事力以外には無かった。だから大日本帝国は中野聡の言葉では「自ら解体」したのだ。
西欧に対しての非協調的かつ挑戦的な姿勢は日本のゾンビのように蘇った「攘夷」・barbarism思想ではなかったか。福澤が恐れていた、攘夷論者あるいは実行者が作った明治政府の腹のなかに溜まっていた腐敗物みたいな思想、論理が出てきたのではないか。布 Hawaii 奇襲作戦などの立案と実施はその代表例ではなかったか。また「ナチスの第三帝国」や「共産主義のソ連」との軍事を主にした協定や条約、すべてまともな外交を無視した幼稚な結果ではなかったか。そして、科学的、論理的な国力や軍事力を超えて「精神力」を計算式のなかに大きく組み込んだものだったのではないか。つまり幕末・維新期から70年も経過しても「体は大きくなった子供」と表現したダグラス・マッカーサーの言葉どおりだったわけだ。日本の暴発は核2発に返ってきた。
この会談はチャーチル、ルーズベルトの英米がスターリンの野望を野放しにした密約だった。スターリンは大戦直前からナチスから解放されるはずのポーランドや他の東欧諸国を手に入れ、独逸、朝鮮半島を分割させ、大日本帝国への参戦などによりソ連勢力大拡大を手に入れ鉄のカーテンを作った。幕末・維新期に下手をしたらこのような西欧の対応、連合が正当化される恐れもあったわけだ。ヒットラーやスターリン思想と個性は死んではいない。また日本人が「軍国主義」に、そしてその後「絶対平和主義」に正反対に変換した「精神的な空気」は、西欧の誤った論理に「水をさすことなく」、仮装的な西欧化という大きな危険な現象に対して無力なことだった(山本七平著『「空気の研究」』)。
評論家・ノンフィクションライターの保坂正康は「なぜ日本人は間違えたのか-真説・昭和百年と戦後八十年-」(交詢雑誌第725号2026年2月)で述べている。日本は17世紀から現在に至るまで西欧とは異なり対外戦争期間は50年間(日清戦争から第二次大戦)しかない。昭和初期の軍国主義は歴史から教訓を学ぶ欠如であった。昭和軍人は武士道を否定した。それは裏返せば平和を築く知性と理性の欠如である。クラウゼヴィッツの 『戦争論』の要、「政治は戦争の延長」が逆になった。核の恫喝などとどのように対峙するか。その答えが江戸期から続く日本社会の独自の戦争論、平和論だ。
保坂の言っていることは概ね真であろう。
③ 国家安全保障の基本概念は今も昔も普遍
Today's National Security Environment and Historical Parallels
幕末・維新期に福澤・大鳥たちが経験した日本の非文明化による西欧への無知が日本の安全保障を脅かしていた時代とそれが深刻だったのは約50年間くらいだっただろうが、当時の概念や図式は驚くほど現代と同じようにみえる。国家の安全保障とは何かの定義は簡単だ。「国の主権と領土、国民の生命、財産と生活を守る。」だ。しかも日本の地政学的な状況は当然ながら変わるものではない。
現在、日本の安全保障問題は世界情勢の急激な戦争への変化から、以下に要約されよう。
- 核問題だ。日本は核被害国として核の否定の立場を貫いているが、核問題抜きには今後の対応は考え難い。核、ミサイルと、核抑止のための様々な施策、核燃料の使用など広範囲に及ぶ課題だ。まさしく日本国民全員の積極的議論が必要だ。
- 新しい戦争への対応。陸、海、空だけの戦争の時代は終焉したようだ。サイバー (AI兵器を含む)や宇宙使用の戦い方にシフトしなければ生き残れない状況だ。
- 脅威はますます明確化している。中国、露西亜、北朝鮮だ。日米同盟の重要性と深化、効率的な分担も課題だ。
- 経済安全保障や幅広い外交努力の刷新。「国連第一主義」は終わったようだ。次の体制の模索に積極的に関与する。
政策メディア学の神保謙は (『交詢雑誌』 716号令和7年5月)に以下のように「地政学潮流はかつての欧州と亜細亜に中東が加わった戦域となり、権威主義国家の台頭、それに対する抑止力の重要性」とその変化を記した。さらに「日本が面している国々や人間も同じどころか増えた。中東の危うい状況はもとより、印度やグローバルサウスという第3勢力の台頭を背景にした論で、地政学の逆襲と定義して、世界的にはフラット化が進展、力による平和の維持がし難い状況にある。そのような状況下で日本の安全保障は明確な抑止力と捉える。」とした。また神保は「専守防衛」論にスタンドオフ、オンショアを説明した。神保は防衛に抑止は必須と言っているのだ。
防衛省防衛政策研究所の高橋杉雄は「交詢雑誌」691号(2021年4月)に「世界は戦争と一緒に生きている。The world be with wars.予測される展開で相手に勝てると思わせない「抑止力」が必要」と強調した。
同じく前国家安全保障局長の北村滋は『交詢雑誌』688号(2021年1月)に「安全保障のグレーゾーンとハイブリッド化をミサイルギャップを例に予測不可能な事態 unpredictable には現実的反撃能力が鍵であり迎撃ミサイルのコストパーが巡航ミサイル「トマホーク」に比較し数十倍の数字」を挙げた。つまり数多い 「トマホーク」 装備はそれ自体が抑止力になるという意味だ。かなり具体的な意見だった。
また外務省顧問の杉山晋輔は『交詢雑誌』 690号(2021年3月)で「反撃能力の定義と反撃と武力攻撃発生の時点、さらには専守防衛とその整備計画」を説明した。反撃なければ防衛なしの基本だ。その他、交詢社では講師に前統合幕僚長河野克俊から「今後の我が国の安全保障」の具体性をウクライナ戦争を例に挙げた。
同じく慶應義塾大学教授廣瀬陽子 「ロシア外交と国際社会」、東京大学東洋文化研究所教授松田康博「台湾海峡の危機と有事」と続いた。各専門家から日本を巡る安全保障はかなり深刻であるとの意見が次々述べられた。メディアの報道(日本では戦争の脅威は薄い平和を望む)とは裏腹に、安全保障専門家はすでに日本を取り巻く環境は平和なものではなくて危険としているのだ。彼等からは近年の国際情勢大変化に果して日本が対応しているのかの疑問が数多く出された。
日本は自国の安全保障のため攻撃力も含む「抑止力」を整備しなければならないことは今は当たり前の議論なのだ。
近代国家共同体が軍国、独裁、共産、特定宗教を基盤として成立することはあり得ないのだが、現実、過去にそうではなく、現在もそうではない。近代国家において専制的統治権力が世襲などはあり得ないのだ。国家対立、紛争の種、経済的な覇権よりも戦争は諸々の原理や概念に起因することが多いのは変わらない。主権国家や統治、植民地主義の定義、帝国主義などは正しく諸国を観察、分析することが必要だ。これは幕末・維新期より現在に至るまで、紛争が起因する要素には地政学的な背景、利害の衝突、価値観の相違、内政上の問題、イデオロギー・宗教などが挙げられる。あるいは複合的なものだろう。要因を整理して数値化することで危険度も算出できるだろう。特にイデオロギー論と外交交渉がどの程度効果があるかは重要な要素だ。幕末・維新期の日本は地政学的背景に助けられた。まず、価値観の相違、その変動や文明論への恐れがあるがその値や内容は予測可能であると考えられる。さらに地域的には同盟国である米国史の知識と理解と分析は必要だ。その議論は安全保障に必要な条件であり、今も昔も変わらない普遍な論理である。
現在を鑑みると諸条件から米国との同盟の効果は否定できない。米国は「力による平和」を安全保障の基軸としているので、日本メディアは頻繁に批判するがその力は同盟国日本にとり大きな優位的抑止力であることも認識する必要がある。
鶴岡路人は『交詢雑誌』715号(2025年4月)で「世界のルールに基づく秩序は風前の灯火であり、力による現状変更は当たり前の時代に突入した」と述べた。また彼は著書 『はじめての戦争と平和』で「安全保障とは国家の危険・リスクの把握、分析、管理と対処すること」と定義している。安全保障の危険度は客観的なデータに基づく計算が必要だ。
神保謙が挙げた例は、台湾有事にも日本の防衛力は貢献できる。すなわち日本が台湾周辺を射程とする対艦ミサイルを千発配備する、これにはそう費用はかからない、大きな抑止力になり日本の安全保障をも支えると。しかしこの防衛ミサイル自体の開発、配備でさえ誰の差し金か日本では大議論になったのだ。
今も昔も、国家安全保障は国論を統一して方向性を明確にするのが緊要ではないか。
福澤は国家安全保障概念に関して、「独立と国を守る気風の充満であり、妄想的武力偏重は自ら国を倒す」としていたが、現在日本はこの言葉以前の状況と考えざるをえない。
第二次世界大戦後、連合軍が国際秩序維持のために創設した「国際連合」 The United Nations 1945年10月、51ヶ国参加で創設され本部は紐育にあり、現在は193ヶ国が加盟している。持続的平和主義を掲げ安全保障だけでなくて経済や文化と幅広い活動を趣旨としている。基幹となる拒否権を持つ理事国は5ヶ国でそのなかで中国とソ連は創設来の主権が異なっており、米、英、仏と彼等の対立はあらゆる面で国連活動を機能を低下させている。日本では国連第一主義外交基本方針が強く、一般にこの組織の評価は高いが、米国が抜けるのは時間の問題であろう。米国は世界が予測し得ない思い切った独自の外交や軍事を展開する。
久保文明(防衛大学長・東大名誉教授)は第二次大戦後の世界秩序は実質的に米国が形成した。その基盤の揺るぎには、露西亜、中国、北朝鮮などによる法の支配の秩序への挑戦また米国国内の80年間の変遷、中国軍備の過大評価などに関して述べた(『交詢雑誌』第726号2025年3月号)。
ポイントは明確ではなかったが、米国の国連離れがまた国連の第二次世界大戦勝利国の定義、ソ連と中国が問題ではないか。
④ 日本の「絶対平和主義」への疑問
A Debate with Those Who Believe Japan Is Always Safe
「軍備を持たねば永遠に平和を維持できる」は極端な理想論だ。日本国憲法第9条は戦争放棄をうたっている。それはそれ優れた内容だ。しかし、その真意は「国際紛争の解決に戦力を使わない」としているので、戦力による自国防衛は否定していない。ましてや抑止のための戦力は。「火縄銃伝来がなかったら日本は平和であった。」と発言した方がいたが、兵器そのものを否定しても議論にならない。
経済学者気賀健三は昭和50年頃(1960年代)に非武装論を危険な平和主義としてそれを唱えていた社会党を無知か偽善かその両方だと痛烈に批判していた。
「軍備」と「軍事力」は違う概念で、平和には軍事力を使わせないことが重要なのだ。究極の軍事力は「核」だ。核を使わせない方法を世界中が真剣に考えるべきだ。現在の世界の最重要課題が核だ。
将来、核を使う戦争が行われることになったら、それは人類にとり、戦争も平和も未来も語ることが不可能な状況を生み出すことは必至であろう。しかるに「核、ミサイル、露西亜」の3種の神器を手に入れた隣国は日本にとってどのような存在かは言わずもがなだが、それを真剣に議論することましてや対策を練ることはほとんどない状況だ。絶対平和主義論が通用するかしないかは自明だが現在日本は被害者としての核問題を議論しても隣国の核には寛容だ。絶対平和主義者は現実をみておらず常識がないのだ。福澤の基本論理 「知識がなければ思考なく、思考なければ議論なし」に戻る。
また福澤は「極端主義」を厳しく批判した。「教育ある人間の意見には温度と同じように段階があり標準があるべきだ。昔の水戸候のように異なる意見を抹殺するなどは攘夷論そのものだ」(富田正文編『福澤文選』)。極論、ポピュリズムの如何なる言葉も安全保障論では禁句だ。
日本は各地、各国の状況を個人として国家として正しく把握することが必要なのではないか。詳細にデータを観測し背景を考えれば、現在の課題も明白化する。例えば現在(令和8年(2026))、日本を巡る直接的安全保障状況は、北朝鮮、露西亜、中国の動勢に絞られるのではないか。北朝鮮は露西亜と軍事同盟を結んだ。中国は内政上の問題もあり台湾侵攻と太平洋への進出を決めている。露西亜はにっちもさっちもいかない状況だ。あとは誰かの暴発あるのみの状態ではないか。
台湾有事、朝鮮半島有事、北方有事は同時多発的に起こる、この論理もある意味で正しい。
日本は脅威に囲まれている。平和主義者であった福澤 (『通俗国権論』) ならどう判断するか興味がある。「理が正しければ黒奴にも恐れ入り、道なければ軍艦にも立ち向かう」は実に簡単な論理だ。
いずれにせよ軍事力と外交力は国家の両手であり、それらを駆使する国家努力が必要だ。高橋杉雄は著書『日本で軍事を語るということ』で「何をすれば『安心』できるかを決めるのは日本人」として世界の戦争と一緒に生きてる状況に関しての解決策を述べている。このためには観念論に走らず現実論が必要なことは明らかだ。
秋田浩之(日本経済新聞社)は2026年2月、交詢社外交研究会で世界の現況に触れて、「20年後の欧州は基督教を基盤とする西洋文明を守れるか、主権国家主義者が台頭し、世界は現在とまったく違った姿になる。」と予測した。交詢社外交研究会講師渡部恒雄編『防衛外交とは何か、平時における軍事力の役割」で渡部は「アメリカの対外防衛・安全保障協力の歴史と現状に関して多くの政策変更が伴っている」ことを、鶴岡路人は『イギリスの防衛外交・防衛関与に関して新たな古典的役割の模索』を述べている。
すなわち日本の安全保障は遠い昔に戻り、米国や英国を軸にした多国間関係の構築に集約されるのではないか。日本はすでに安全ではないことの認識、その脅威への対策を具体的に思考する転機は過ぎている。
平和に慣れすぎるのは危険であるが、露西亜のウクライナ侵攻が始まってミサイルが高層ビルと貫く、戦車砲が家屋をぶっ飛ばし榴弾砲や迫撃砲を発射している、さらに歩兵が塹壕にと地上戦の有様の映像を見た時はこの世のものとは思えなかった。
鶴岡路人は露西亜侵攻直後、2023年、NATO 研究家として『欧州戦争としてのウクライナ侵攻』を著し欧州対ロシアの宿命的な対決の複雑性を述べた。NATOの抑止力の強さがロシアの侵略欲より小さかったのだ。地域的な不均衡の危険性は世界中に幾つも存在する。福澤は『西洋事情』でペルシャを痛罵していた。同じく時事新報では清国を。
人類は平和にも慣れるが戦争にも直ぐ慣れてしまう。今や何処で何が起ころうが驚かなくなっているのが一番怖い。
⑤ 軍事費と戦費は別なもの、はたして日本は効果的な「国防」ができるか
Can Peace Be Sustained without Military Power?
幕末・維新期そして明治前期と異なり、現在の日本はあらゆる近代兵器開発技術は存在する。しかしそれらが現実のものになるかは別問題だ。兵器、軍備として配備されて運用されるまでには過程が多く長い時間が必要だ。最近、通常兵器の海外移転が決まったが、日本は特に武器兵器移転、輸出など規制が多く存在している。また核燃料などの使用にも制限がある。兵器は一部だけが高度でも効率が悪いことは歴史が示している。国防戦力を強化するには新しい戦略、具体的な武器兵器の開発消して効率的な配備と運用が一本の線上にあり、国家として命をかけて達成する強い意志がなければならないことは必至である。国民の無知、無関心そしてカウンターイデオロギーをしての絶対平和主義が妨げていることも歯がゆい状況だ。全て幕末・維新、170年前に経験したことではないか。平時と有事をすでに分離することはできない、と多くの専門家たちは語るが軍事費に戦費を入れ込んだ数式を日本政府は作れるかが問題ではないか。軍事費は毎年、国家予算で計上する国防の防衛費のことだ。
日本はGDPの2.0%未満 (令和7年)である。一定期間の累積で国家の国防力、安全保障の担保は決まる。戦費は有事(多国からの具体的な侵略や軍事紛争)が発生して必要な緊急な費用だ。軍事費の積み重ねが少ないことは抑止力に反比例するので具体的な危惧は計算して合理的に判定する必要がある。つまり年々の軍事費は積み重ねて発生する危惧、有事の戦費への投資とする論理だ。従って福祉費用を削り防衛費にしている等の幼稚な議論(各々の予算規模が異なる)は捨て、せめてEU なみの現実的防衛費、3~4%は有事の戦費のための積み重ね(これは抑止力と計算される) に転換すべきであろう。それには基本となる認識と議論が脆弱だ。
安全保障3文書などにおいても防衛力の定義、具体的な戦力、継続戦闘能力などの記載はまだ明確でないようだが進展に期待する。
経済安保の問題も近年、益々重要な課題だ。近代・近未来産業には欠かせないレアアースと貿易・サプライチェーンである。国家として日本は他国の資源ナショナリズム構想とは毅然と対抗しなければならない。日本の自立は今も昔も自由主義による資源の輸入と効率の良い商品輸出の一貫体制である。軍事力でこれを脅かす動きがあれば同盟国、同志国と図り強力な対抗策を講じることは緊要だ (50年ほど前に気賀健三が唱えた『提言独立と平和の条件』)。
この計画の負担に国民や政府が耐えられるか、恐らく今のままの政治状況では不可能であろう。この論に共同開発国が必要であるとすると、英国、伊太利亜、豪州などが候補になろう。地政学上の条件からだ。筆者のこの案に対し直ぐに「実現不能」という反論が多かったように記憶している。しかし歴史に人類は絶えず不可能を可能にしてきた事実があった。そして新しい概念、装備は一気にやることが緊要だ。核を燃料として艦艇に搭載することは現実論に当たる。更に安全保障費用は国家の投資との観点からの研究が必要だ。
筆者は平成31年(2019)1月、当時会員であった防衛懇話会 (日本工業クラブ内)の「印度太平洋軍司令部視察」に参加して布 Hawaii に渡航した。5日間ほど司令部、ヒッカム空軍基地、真珠湾海軍基地、スコフィールド陸軍基地そしてカネオ海兵基地を訪問した。各々で将官との意見交換、実用装備品の視察などを行った。印度太平洋地域は当時、世界人口の60%、GDPの40%、貿易の44%を占めて、米国は200艦艇、5空母機動部隊、1,100機の航空機を配備していた。大国間競争時代を勝ち抜くための戦略であった。最新イージス艦、F-22、MV-22、無人機の運用など最新の技術に触れた。その経験で感じたことは軍事的優位性の維持のためには同盟強化、攻撃力運用効率化は手の抜けない重要な課題で両国の緊密な連携が必要不可欠であることだ。米軍は日本近辺の局地的展開を日本側(自衛隊)に任せて、彼等は後方から広い範囲を担当する計画を感じた。これらの均衡と間隔が重要であろう。この傾向は欧州でも同じだが、日本人が正しく認識していない事項の一つだ。
なぜなら米国は直接自国を守るだけでなく世界で少なくとも3方面での展開が必要だからだ。遅かれ早かれ、米国の印度太平洋構想離れは起ると感じた。
現在の日本安全保障論が直面している状況をまとめると、大枠は幕末・維新期から明治初期に福澤等が語っていた基本的状況と大きな差はない。一つは中国と露西亜の地政学的危険性だ。朝鮮半島情勢はそれらに直接影響された具体的脅威である。台湾や北方領土が準ずる。もう一つは日本国内の現状認識だ。国家としての独立性に対する国民の意識はどのようなものか。国民の知識、価値観、意識はどうなのか。日本人は国旗、国歌、建国記念日など国家の主体性表現(アイコン)に関して極めて薄弱な感情しか持たない国民だ。若い国民に普通の国家意識を抱かせることができるかは疑問だ。
国家や安全保障の認識は観念論ではない史実を基礎に科学的、実証的に明確に説明する必要がある。
安全保障関連参考文献 References
- 「違和感の正体」 先崎彰容著 新潮新書 2016年
- 「東南アジア占領と日本人 帝国・日本の解体」 中野聡著 岩波書店 2012年
- 「歴史経験としてのアメリカ帝国」 中野聡著 岩波書店 2007年
- 「安全保障概論」 来栖弘臣著 BBA社
- 『「戦争学」概論』 黒野耐著 講談社現代新書 2005
- 「日本の戦時経済」 原朗編 東京大学出版社 1995年
- 「語られなかった戦後日本外交」 池井優著 慶應義塾大学出版 2012
- 「防衛外交とは何か」 渡部恒雄・西田一平太、鶴岡路人他 勁草書房 2021
- 「新しい日本の安全保障を考える」 坂本正人・吹浦忠正・神保謙著 自由国民社 2004
- 「欧州戦争としてのウクライナ侵攻」 鶴岡路人著 新潮選書 新潮社 2023
※鶴岡は戦争を防げなかった均衡論を「侵攻の利益と見送った損失」対「侵攻による損失と見送った利益」の比較論を述べている。目的論の推移や情報戦の手段も。鶴岡は筆者が所属する外交研究会の講師としてしばしば講義した。 - 「はじめての戦争と平和」 鶴岡路人著 ちくまプリマー新書 2025
- 『中国の「核」が世界を制す』 伊藤貫著 PHP 2006